もし未来が決まっているのだとしたら、
それはどれほど虚しいことだろう。
未来が決まっていることほど、
面白くないことはない。
世界がどうとか、未来がどうとか、
正直、あまり考えたくない。
遠すぎる未来の話より、
いま自分が何をしているかのほうが大事だから。
最近、テレビが胡散臭く聞こえてくる。
もっと正確に言えば、
テレビはもう「信じるため」には観ていない。
ただ、事実を確認するために、
起きたことが何だったのかを確かめるために、
それだけを観ている。
それ以外の言葉は、
どうしても加工された音みたいに聞こえてしまう。
整いすぎた未来の話も、
正しすぎる意見も、
どこか遠くで鳴っていて違和感がある。
……たぶん、そう感じるようになったのは最近じゃない。
だいぶ前からだ。
そんな僕でも、好きなテレビ番組はある。
でも、昔ほどはない。
というか、ほとんど無くなった。
なぜか僕が好きになる番組ほど、静かに終わっていく。
マニアックだったということなのだろうか。
少しだけ、世界とのズレを感じて、少しだけ寂しい。
不思議だ。
いま、テレビは、本や漫画を読むときやブログを書くときの
BGMみたいな役割でつけていることが多い。
読み終わって顔を上げたとき、
まだテレビがついていることに気づくと、
「あ、ちゃんと集中できていたんだな」と
少し遅れて、自分の状態がわかる。
夢はあっても良い。
でもそれは灯りであって、行き先じゃない。
一番重要なのは、
いまが楽しいかどうか。
いまが、ちゃんと生きている感じがするかどうか。
「きっと未来は良くなる」なんて、
その言葉に寄りかかった瞬間、
僕は何かに負ける気がする。
だから、今を楽しまないといけない。
未来のためじゃなく、
今のために。
ただ、未来の楽しみという感情は持っても良いと思っている。
というか、持つべきだ。
それは逃げるためじゃなくて、
今日を前に進めるための、ほんの小さな推進力として。
世の中は残酷で、
人は驚くほど儚い。
それでも、その残酷さの中で
何かを楽しめる人は、たぶん強い。
僕の場合は、
ブログで。
小説や漫画という物語で。
あとは、身体を動かすこと。
世界と、ちゃんと接触している感じがするから。
でも、そんな僕でも迷う。
よく、迷う。
こうして書いている今だって、
迷走の途中なのかもしれない。
絶対の正解なんて、たぶんない。
この世界は、数学のようにきれいに整うようにはできていない。
矛盾だらけで、ずれていて、
だからこそ、人は考えて、選んで、書いてしまう。
たぶん僕は、
答えを見つけたいんじゃなくて、
迷っている自分を
ちゃんと客観的に見ていたいだけなんだと思う。
いま僕がいちばん頑張れることは、
毎日の楽しみを考えることだ。
楽しみを見つけるのは簡単なようで難しい。
だからこそ楽しみを探すのには一番のエネルギーを
かけたいと思っている。
結局人間は楽しめたほうが勝ちだということだと僕は思う。
だから今日も、
決まっていない明日より、
不完全な今日を
少しだけ、楽しみながら信じてみようと思う。

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