この世は、「嘘」でまみれています。
作り笑顔。
社交辞令。
「大丈夫」という言葉。
本音だけで生きている人は、
きっとどこにもいないのではないでしょうか。
嘘をつかずに生きることは、
誠実である以前に、あまりにも不器用に思えます。
人は嘘をつきます。
誰かを傷つけないために。
場を壊さないために。
そして何より、
生きていくために。
この世は、すべてが曖昧です。
正しさも、感情も、
愛ですら、はっきりとした形を持っていません。
絶対に正しい言葉も、
絶対に間違った感情も、
この世界には存在しないのかもしれません。
だから人は、
迷いながら言葉を選び、
曖昧なまま生きていくのだと思います。
【推しの子】一巻は、
そんな曖昧な世界を舞台にした物語です。
この作品は、
嘘を暴くための物語ではありません。
嘘を断罪するための物語でもありません。
描かれているのは、
嘘や曖昧さを抱えたままでも、
それでも誰かを想おうとする人間の姿です。
その象徴として描かれているのが、
アイ という存在です。
彼女は完璧なアイドルでした。
誰よりも輝き、
誰よりも愛され、
誰よりも多くの笑顔を生んだ存在です。
しかし彼女自身は、
その笑顔を「嘘」だと思っていました。
本当の気持ちが分からない。
愛が何なのか分からない。
それでも彼女は、
笑うことをやめませんでした。
アイは、作中でこんな言葉を残しています。
「嘘はとびきりの愛なんだよ」
この台詞は、
【推しの子】一巻を象徴する言葉だと思います。
嘘を肯定する言葉ではありません。
嘘が正しいと言っているわけでもありません。
これは、
分からないままでも、誰かを想おうとする行為そのものを
愛と呼んでいいのではないか、
という問いなのだと思います。
アイにとって嘘は、
人を欺くための道具ではありません。
分からないままでも、
それでも誰かを想おうとすること。
本物かどうか確信できなくても、
「大切だ」と言葉にすること。
彼女は嘘を、
願いのように差し出していたのだと思います。
本当ではないかもしれない。
それでも、
本当になりたいと願うことはできる。
その姿勢こそが、
【推しの子】一巻に描かれた
「嘘」の本質なのではないでしょうか。
そして物語の中で、
アイは最期に、
ルビーとアクアに向けて
嘘ではない「愛してる」を伝え、
この世を去ります。
嘘を重ね続けてきた彼女が、
最期に残したのは、
演じる必要のない、ただ一つの本音でした。
それは、
彼女の人生が嘘だけでできていたわけではないことを、
静かに示しているように感じられます。
「嘘つきは泥棒の始まりだ」と言われます。
確かに、
人を欺き、奪う嘘は罪です。
誰かの人生を壊す嘘は、
決して許されるものではありません。
しかし、
すべてが曖昧なこの世界で、
誰かを想おうとして差し出された嘘まで、
同じ言葉で切り捨ててしまってよいのでしょうか。
もしかするとそれは、
泥棒ではなく、
愛に近づこうとした行為だったのかもしれません。
最後に。
今回は、
【推しの子】一巻に描かれた「嘘」についてだけにフォーカスし、
語らせていただきました。
一応、
僕自身は最終巻まで読んでいます。
最終話についてはさまざまな意見がありますが、
僕はこれについて、否定も肯定もしていません。
「こういう物語だった」と、
そのまま受け入れています。
というのも、
僕は人が作った物語や作品に対して、
否定をすることはほとんどありません。
作品が生まれるということは、
一つの世界が生まれることだと思っているからです。
僕は、
物語の作者を、
その作品世界の「神」だと認識しています。
作者次第で世界は形作られ、
作者次第で終わらせることもできる。
作品に文句を言ったところで、
それは神に文句を言っているようなものです。
世界は変えられないし、
仕方がないことなのだと思います。
……もしかしたら、
この現実も誰かの物語なのかもしれませんね。
なんて、冗談ですが。
冗談はさておき、
どんな作品であっても、
賛否両論が生まれるのは事実です。
絶対に万人受けする作品は、
絶対に存在しません。
それでも、
これだけは言いたいです。
この【推しの子】という作品は、
読んで良かったと、心の底から思っています。

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