■ 「過去」と「歴史」は同じもの?
ふと、こんなことを考えました。
“過去”と“歴史”って、同じ意味なんだろうか?
どちらも「昔のこと」を指しているように見えるけれど、
僕の感覚では、この二つはまったく違うように思えます。
■ 過去とは「起きたこと全部」
過去とは、とにかく 世界で起きたことの総量 のことです。
- 誰にも知られていない一日の行動
- 文献に残らなかった小さな出来事
- 誰も見ていない瞬間
- まだ発掘されていない古代の営み
これらは全部、確かに“起きたこと”。
そこには意味づけも解釈もなく、
ただ淡々と存在する“事実”だけが横たわっています。
■ 歴史とは「人が拾い上げた過去の一部」
一方で歴史は、過去そのものではありません。
歴史とは、
膨大な過去の中から、人が「重要だ」と判断した部分だけを選び、
記録し、説明し、物語として残したもの。
だから歴史は語り手によって姿を変えます。
- 国が変われば評価が変わる
- 時代が変われば善悪がひっくり返る
- 立場が変われば語り口も変わる
歴史は、“人間が作ったひとつの物語”。
だって英語で “HISTORY” でしょう?
よく見ると、
HI + STORY(物語)
なんですよね。
言葉の中に、最初から“物語性”が埋め込まれている。
歴史が人によって形を変える理由も、ここにある気がします。
■ 「真実はいつもひとつ」? 本当にそう?
この“歴史=物語”という感覚は、
もうひとつ僕が昔から思っていたことにもつながります。
名探偵コナンのあの有名な台詞、
「真実はいつもひとつ!」
でも、僕は最近こう思うんです。
真実というものは、見る角度が変われば姿まで変わるものだ。
同じ出来事でも、
立場・経験・価値観で“意味の見え方”がぜんぜん違う。
だから、誰かが語る真実は、
もう一人の誰かにとっては別の形をしている。
“真実=たった一つ”
だと決めつけるには、
人間はあまりにも多様で複雑なんじゃないか、と。
■ 整くんの言葉が、核心を教えてくれた
ここで思い出すのが、
漫画『ミステリと言う勿れ』の久能整くんの言葉です。
「真実は人の数だけあるんですよ。
でも、事実は一つです。」
僕が言いたかったことを、
一行で綺麗にまとめてくれている気がします。
- 事実 … 実際に起きたこと。一つだけで変わらない
- 真実 … その出来事をどう受け取ったか。人によって違う
これをそのまま置き換えると、
- 過去=事実
- 歴史=その事実をどう語ったか(=真実のかたち)
という構造になる。
■ 歴史の勉強がつまらなく感じる理由
そして最後にもう一つ。
歴史の勉強が嫌いな人って、多分“起きた事実だけ”を見ているからじゃないか?
と僕は思っています。
僕も昔は「歴史=暗記科目」だと思っていました。
年号を覚えて、人物名を覚えて、事件名を覚えて……
正直、それだけだと全然面白くない。
でも、よく考えると学校の勉強って
どの科目もほぼ暗記です。
- 数学だって公式を覚えないと始まらない
- 国語も漢字や文脈、形式を覚える
- 英語なんて英単語の山…
英語が苦手な僕からすると、
英単語の方が歴史よりよっぽど地獄です (-_-;)
(英語得意な人に怒られそうですが…笑)
でも歴史は、
「これが起きたから、次にこれが起きた」
という“つながり”で覚えられます。
出来事を点ではなく線で理解すると、
本当に覚えやすい。
歴史を
事実の羅列として見るか、
物語として読み解くか。
その違いで歴史という科目は
退屈にも、面白くもなる。
■ おわりに
過去は一つの事実。
歴史は、人間が生み出す物語。
そして“真実”は、人が見る角度によって姿を変える。
世界はきっと、そうやって成り立っているのだと思います。
そんな僕の考察を書いてみました。

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