小説やドラマ、漫画の中では、よく「これは運命だ」という言葉が出てきます。
出会いも、別れも、再会も、まるで最初から決まっていたかのようにつながっていく。
たしかに物語の中ではそれはとても綺麗で、納得もしやすい。
でも、現実でもそれは本当に「運命」なんでしょうか。
それとも、あとからそう呼んでいるだけなんでしょうか。
そんなことを、ふと思いました。
■ 運命って「あるもの」なの?
運命と聞くと、多くの人は「最初から決まっているもの」を思い浮かべる気がします。
誰と出会うか。
何を選ぶか。
どんな失敗をして、どんな成功をして、どこで何を失うか。
すべてが、生まれた瞬間から決まっている、というイメージ。
でも、もし本当にそうだとしたら、
僕たちが悩む意味って、ほとんどなくなってしまいます。
選択しているつもりでも、
実はただ決められたレールをなぞっているだけ、ということになる。
それって、ちょっと寂しくないでしょうか。
■ 運命って「後からつける名前」なんじゃないか
僕は最近、こう思うようになりました。
運命って、事実じゃなくて「解釈」なんじゃないか。
出来事が起きる。
それに意味を与える。
その意味を「運命」と呼ぶ。
この順番なんじゃないか、と。
たとえば、たまたま入ったお店で、たまたま隣に座った人と仲良くなった。
その人が、後々とても大切な存在になった。
そうなると僕たちは、「運命の出会いだった」と言う。
でも、出会った瞬間はただの偶然だったはずです。
■ ……と書きながら、ふと思ったこと
ここまで書いていて、ふと思いました。
「また同じようなことを書いているな」と。
意味は後からつくるとか、
偶然に意味を貼るとか、
過去を物語に変えるとか。
正直、僕はブログで何度も似たようなことを書いている気がします。
でも、それって悪いことなんでしょうか。
■ 同じことを何度も書くのは、たぶん掘り下げているだけ
人って、そんなにたくさんの本質的な問いを持てない気がします。
たぶん誰でも、一生のうちに何度も戻ってくる問いは、ほんのいくつかだけ。
僕の場合、それが
「意味は最初からあるのか、それとも後からつくるのか」
という問いなんだと思います。
運命も、生きる意味も、歴史も、物語も、
全部この問いの言い換えです。
だから何度も書く。
何度も言い直す。
何度も違う角度から考える。
それは、同じ場所をぐるぐる回っているんじゃなくて、
同じ場所を少しずつ深く掘っているだけなのかもしれません。
■ 運命は「意味の完成形」なのかもしれない
だから、こう言い換えられる気がします。
運命とは、
偶然の出来事に、人が意味を与えきったときに生まれる言葉。
起きた瞬間には意味がない。
でも、時間が経って、感情が重なって、記憶が積み重なって、
「あれがあったから今がある」と思えたとき、
それは「運命」になる。
運命って、未来にあるものじゃなくて、
過去に貼られるラベルなのかもしれません。
■ それでも人は「運命」を信じたくなる
じゃあ、運命なんてただの幻想なのかというと、
たぶんそうでもない。
人は、意味のない出来事に耐えられない生き物だから。
苦しみも、失敗も、別れも、喪失も、
「意味があった」と思えないと、抱えきれない。
だから人は、意味をつくる。
意味をつくるために、「運命」という言葉を使う。
それは逃げじゃなくて、
生きるための知恵なんだと思います。
おわりに
正直に言うと、
こんなふうに綺麗事を書いていますが、
僕自身も本当のところはよく分かっていません。
運命があるのかどうか。
最初から決まっているのか、あとから生まれるのか。
たぶん、誰にもはっきりとは言えない。
ただ一つ言えるのは――
あるかどうかは分からない。
でも、今まで生きてきた過去の思い出が、今の自分の活力になっているなら、
今までやってきたことは、運命だったと言えるんじゃないだろうか。
それが最初から決まっていたかどうかは分からない。
でも、ちゃんと生きて、悩んで、選んで、積み重ねてきたなら、
振り返ったときにそれは「運命だった」と呼べる。
たぶん運命って、そういうものなんだと思います。

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