ラマヌジャンという人を知っていますか?
数学の世界では伝説のように語られる人物で、
「天才」という言葉がこれほど似合う人は他にいないかもしれません。
いや、「天才」ていうより「神」って言った方が近い気がします😅
学校の数学って、“与えられた問題を解く”イメージが強いですよね。
でもラマヌジャンは、その世界のずっと外側にいました。
彼にとって数学は、直感そのもの。
証明より先に“答え”が見えてしまう——そんな人でした。
📘 運命を変えた一通の手紙
ラマヌジャンはインドの貧しい家庭に生まれ、ほぼ独学で数学を学び続けました。
そして、自分の数式の数々をイギリスの数学者 G・H・ハーディへ送りつけます。
その手紙には、
「誰も見たことのない公式」
「証明が存在しない謎の定理」
が延々と書き連ねられていました。
最初はハーディも疑います。
「これは狂人の妄想か?」
しかし、読み進めるほどに背筋が冷えていきます。
「これは本物の天才だ」
こうして、ラマヌジャンという“彗星”は世界に発見されました。
⚡ “証明より先に答えが見える”という異次元の才能
ラマヌジャンのノートには、
後の数学者たちが数十年かけてようやく理解できた公式が、
何事もなかったかのように並んでいます。
例えば──
・円周率を高速で計算するための公式
・ブラックホールの研究にも登場する「Mock Theta Function」
・分割数(partition function)の深い性質
など、現代数学にも直結するアイデアばかり。
まるで“先に答えが見えていた”としか思えない。
そんな異世界のような才能を持っていました。
🚕 有名すぎる「タクシー数 1729」エピソード
ラマヌジャンの天才を象徴する、有名なエピソードがあります。
ハーディが、病気で寝込んでいたラマヌジャンを見舞うために
タクシーで病院へ向かった日のこと。
乗ってきたタクシーの番号は 1729。
ハーディ
「この数字はあまり面白くないね。」
するとラマヌジャンが、熱で弱っているにもかかわらず即答します。
「いいえ、とても興味深い数です。
1729 は“二つの異なる方法で、二つの立方数の和になる最小の数”ですよ。」
具体的には、
1729 = 1³ + 12³
= 9³ + 10³
病床にありながら、この性質を即座に言い当てる。
ハーディはこの瞬間、心の底から驚いたと言われています。
📝 ラマヌジャンは、今も“未完の天才”のまま
ラマヌジャンが残したノートには、
未解明の式やアイデアが大量に詰まっています。
現代の数学者たちは、彼の残した謎を
100年経った今も解き明かし続けている最中。
つまりラマヌジャンは、
死後もなお数学界に“宿題”を出し続けている。
――彼は、そんな特別な存在です。
🕯 わずか32歳で消えた天才
ラマヌジャンは、栄光の絶頂で長生きしたわけではありません。
無理を重ねた研究生活、イギリスでの栄養不足や病気が重なり、
わずか32歳という若さでこの世を去りました。
32歳。
いまの僕と比べても近い年齢で、
これほどの世界を残していったという事実には、
心がざわつきます。
彼があと10年生きていたら。
あと20年研究していたら。
数学の歴史は、きっとまったく違う姿をしていたでしょう。
🤔 僕がラマヌジャンから感じるもの
ラマヌジャンの人生を知ると、妙に勇気が出てきます。
教育環境が整っていなくても、
専門の訓練がなくても、
ただ“好き”という気持ちが極まると、
世界を動かせるほどの力を持つ。
僕がブログを書き続けたり、小説を綴り続けたりする理由も、
きっとそこに近いのだと思います。
正しい方法や知識がなくても、
「好き」を手放さない限り、どこまでも行ける。
ラマヌジャンもまた、
「好き」を誰よりも深く抱えた人だったと思います。
🪐 最後に
数学史にはたくさんの天才がいます。
けれどラマヌジャンほど、
“謎”と“美しさ”を同時に抱えた人は多くありません。
彼が遺した数式は、
これからも世界中の数学者たちを挑戦し続けさせるでしょう。
✨ 追記:もっと数学者について書いてみたい
ラマヌジャンのことを書いていて、ふと気づきました。
僕って正直いうと、科学史はもちろん好きですが、それより数学史の方が好きなんですよね。
数字の裏側にはいつも“人”がいて、その人生は驚くほどドラマチックで、読んでいて胸が熱くなる瞬間がある。
今回、文章を書いているうちに、
「もっと他の数学者のこともブログで書いてみたい」
そんな気持ちが自然と湧いてきました。
ガウス、オイラー、リーマン、ガロア……
まだまだ語りたい天才数学者たちがたくさんいます。
好きなものを言葉にするのは、やっぱり楽しい。
これから少しずつ、数学者たちの物語も書いていこうと思います。

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