こんばんは。
今日は夜に投稿してみます。
なぜか?今日は疲れているのに書きたいことがいっぱい浮かんでブログ書きたい欲が渋滞しているからです。
早速、本題に行きましょう!
本日は、好きに理由を求めるのはどうなのか?という僕の考えを書いていきたいと思います。
好きに理由は必要?
「なんでそれが好きなんですか?」
そう聞かれて、うまく答えられたことって、僕はあまりありません。
たとえば、いつも飲んでいるカフェオレとか。
カバンの中に、いつも入っているお気に入りの本とか。
そして今も隣にいる、ぺんぺん。
どれも“理由”なんてないんです。
ただ、そこにあるだけで、少しだけ安心できる。
疲れた夜でも、なんとなく心がほっとします。
それだけで、十分だと思うんです。
🌷理屈よりも、感覚で動く瞬間
昔は「なんでそれが好きなの?」と聞かれたら、
ちゃんと理由を考えようとしていました。
でも、考えれば考えるほど、言葉が遠ざかっていくんです。
たとえば、
「この作家さんの文章が美しいから」とか、
「この曲のメロディが自分に合うから」と答えても、
本当の理由はそこじゃない気がします。
“好き”って、もっと曖昧で、
もう少し静かで、
誰かに説明できない場所にあるものなんじゃないかなと思うんです。
☕好きでいることの、あたたかさ
ぺんぺんを見ていると、
「好き」という感情の中に“安心”があることに気づきます。
特別なことをしなくても、
ただそこにいるだけで心が落ち着くんです。
それは人でも、物でも、時間でもいいと思います。
「この瞬間が好き」と思える気持ちは、
理屈よりもずっとやさしいものです。
誰かに認められなくても、
自分の中で確かに光っていれば、それでいいんです。
🌙理由のない好きが、いちばん嘘がない
最近は、“好き”を言葉にしようとしないようにしています。
言葉にすると、少し形が変わってしまう気がするからです。
たとえば、カフェオレの氷がゆっくり溶けていく時間とか、
夜の静けさの中でページをめくる音とか。
誰にも説明できないその瞬間に、
心がやさしく頷いている気がします。
「なんで好きなの?」と聞かれても、
もう無理に答えなくていいと思います。
だって、“心が選んだ”って、それだけで十分だからです。
誰にも理解されなくても、
あなたの「好き」は、ちゃんとここにあります。
理由なんてなくていいんです。
それは、心が選んだ“ひとつの光”だからです。

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