犬を見かけて思いついたことを書いてみます。🐕
僕は犬を飼っていません。
それでも、散歩中に出会う犬や、公園で遊ぶ犬を見かけるたびに「もしこの子が話しかけてきたら、どんな声なんだろう」と想像してしまいます。
「今日はこっちの道がいいよ」と言うかもしれないし、「昨日のおやつは物足りなかった」と愚痴るかもしれない。
そんな空想は、ほのぼのして面白い一方で、少し怖くもあります。😅
なぜなら「犬が話す」という想像は、そのまま「人間だけが理性や言葉を持っている理由」に触れる問いへつながるからです。
1. ほのぼのとユーモアの世界 🐾😂
まずは軽やかに、ほのぼのとしたイメージから。
朝の公園で、犬たちが並んで話し合っていたら……。
「きのうのおやつ、何だった?」
「うちはササミジャーキー!そっちは?」
「ビスケット!交換しない?」
あるいは、飼い主に向かってこんな小言を言うかもしれません。
「ねぇ、散歩の距離を短くしたでしょ」
「冷蔵庫のハム、こっそり食べたの見たよ」
「靴下なくしたの、ぼくのせいにしたけど本当はあなたでしょ?」
犬が言葉を話せたら、人間は隠しごとなんてできなくなるでしょう。🤣
想像するだけで、つい笑ってしまいます。
2. 哲学的な問いかけ 🤔
しかし、もし犬が人間に「質問」を投げかけてきたら──空気は一変します。
「ねぇ、人間ってどうしてそんなに争うの?」
「お腹が満ちれば仲良くできるのに、どうして奪い合うの?」
犬にとって、食欲や安心が満たされれば十分なはずです。
けれど人間は理性を持つがゆえに、満足の先を求め続けます。比較し、未来を不安に思い、正義や理念の違いで衝突を繰り返す。
犬がもし言葉を発したら、その問いは私たちの「理性の影」を突きつけることになるでしょう。
そしてその瞬間、人間は自分たちの存在のあり方を見直さざるを得なくなるはずです。🌍
3. 言葉を持たない犬の「言葉」 🐕💬
考えてみれば、犬はもう十分に「話して」います。
- しっぽを振るリズム
- 耳の角度
- 目の輝きや視線の長さ
これらは、言葉よりも率直で誠実なメッセージです。
人間の言葉は時に嘘やごまかしを含みますが、犬の仕草には裏がありません。
もし犬が人間のように言葉を操ったら──かえって純粋さを失ってしまうのではないか。
そんな逆説も考えられます。
4. 感動の想像 💧❤️
空想の中で、老犬がある夜、静かに語りかけてくるシーンを思い描きます。
「ねえ、ずっと言いたかったんだ。ありがとう。あなたと一緒で幸せだったよ。」
犬は実際には言葉を発しません。
けれど、毎日の仕草や寄り添う姿は、確かにそう語っているのではないでしょうか。
もしその一言を直接聞けたなら──人は泣きながら抱きしめずにはいられないでしょう。😭
5. 人間だけが「言葉」を持つ理由 📖
ここで立ち返るのは最初の問いです。
なぜ人間だけが言葉を持ち、理性を持てたのか。
- 進化の視点
人間は身体的には弱く、犬や他の動物に勝てませんでした。
だからこそ協力と計画が必須になり、言語と理性を発達させざるを得なかった。 - 哲学の視点
アリストテレスは「人間は理性的動物」と言いました。
言葉を持ち、善悪や未来を考える力こそが、人間を人間たらしめた。 - 逆説の視点
しかしその理性は、争いや不安を生み出す「諸刃の剣」でもある。⚔️
だからこそ犬のような存在に「もし話せたら」と問いを託すと、人間の限界が浮かび上がるのです。
結び 🌇
「もしも犬が話せたら」──それは単なる空想ではなく、人間とは何かを考えるための小さな入口かもしれません。
犬は言葉を持たなくても、瞳やしっぽで愛情を伝え続けています。
むしろその「言葉にならない言葉」こそが、最も純粋なコミュニケーションなのかもしれません。
だから、犬を飼っていない僕にとっても、道ですれ違う犬たちは静かに語りかけてくれているのです。
「ここにいるよ。あなたも生きていていいんだよ。」
次に散歩中の犬と目が合ったとき、僕はきっと心の中で返すでしょう。
「こちらこそ、出会ってくれてありがとう。」
……まあ、ここまで書いたことは、ぜんぶ僕の妄想にすぎません(笑)。
でも、妄想だからこそ自由に広がり、犬を見かけるたびに少しだけ世界が面白くなるのかもしれません。

コメント