🌱序章:200回のリフティングが、僕の人生を変えた日
小学二年生のある日、僕は初めてリフティングで200回を超えました。
周りの友達がまだ数十回で止まる中、僕だけがボールと向き合い続け、
気づけば200回、250回、300回……。
「これ、僕は得意かもしれない」
そう思った瞬間が、すべての始まりでした。
それからというもの、放課後はまっすぐ家の下のガレージへ。
誰もいないその空間で、ただひたすらにボールを蹴り続けました。
リフティングは、僕にとって“練習”ではなく、
自分の存在を確かめる時間でした。
⚽第1章:僕は「サッカーバカ」ではなく「リフティングバカ」だった
中学生になると体力もつき、ある休日の午後、時間があったのでリフティングを続け、
最終的に5075回までいきました。
今振り返ってみても、その数字をはっきり覚えていることが、当時の自分の本気を物語っているのだと思います。
正直、何時間リフティングをしていたのかは覚えていません。
ただ、時間の感覚がなくなるほど夢中になっていたことだけは、今でもはっきり覚えています。
プロ選手のフリースタイルDVDを買って真似しようとしたこともあります。
けれど体が硬くて、ほとんどの技はできませんでした。
それでもやめなかった。
誰かに見せるためでもなく、ただ好きで。
ボールと一体になっている感覚が好きだったのです。
🚧第2章:それでも僕は、試合で輝くのは難しかった
しかし――試合になると、現実はまるで違いました。
テレビで見ていると、サッカーは簡単そうに見えます。
「ここでパスを出せばいい」「今走れば抜ける」
見ているときは頭で理解できるのに、いざピッチに立つと、
周りがまったく見えなくなる。
監督には「首を振れ!」「周りを見ろ!」と何度も言われました。
でも、試合になるとそれができない。
足元のボールに集中するあまり、周囲が消えてしまう。
このとき初めて、僕は思いました。
サッカーは足でするスポーツではなく、“頭”でするスポーツだと。
👀第3章:オフザボールという、見えないサッカー
サッカーの試合でボールを持っている時間は、90分のうち数分。
残りの時間――それが「オフザボール」と呼ばれる、ボールを持っていない時間です。
この時間に、何を考え、どう動くか。
そこにサッカーの本質があるのだと思います。
ボールが来そうな場所に動くのではなく、
自分が動いたことでボールが来る場所を作る。
この感覚こそが、僕の中での「オフザボールの本質」です。
サッカーとは、ボールを持っていない時間に何をしているかで決まる。
頭では理解しているつもりでも、いざピッチに立つと、それを体現するのは想像以上に難しい。
そこにこそ、サッカーというスポーツの奥深さと、本当の難しさがあるのだと思います。
🌟第4章:イニエスタが教えてくれた、“ボールを持っていないサッカー”
イニエスタといえば、滑らかなボールタッチや美しいパスに注目されがちです。
しかし、本当に注目すべきなのは、ボールを持っていないときの動きや、ボールを受ける直前にマークを外すための繊細なポジショニングだと思います。
彼のプレーをよく観察すると、ボールが渡ってくる前には、すでにフリーな状態になっています。
つまり、イニエスタのすごさは「ボールを持った瞬間」ではなく、
ボールが来る前の数秒間の動きによって、すでに勝負を決めているという点にあるのです。
イニエスタは、誰も気づいていないスペースにそっと移動し、
味方がパスを出すタイミングに合わせて自然にそこに立っています。
その動きは派手ではありませんが、
試合の流れを静かに、しかし確実に変えているのです。
🧠第5章:技術の先にある「知力」と「体力」と「直感」
リフティングは、ボールと友達になるための最高の方法です。
でも、サッカーと友達になるには、それだけでは足りません。
サッカーに必要なのは、技術の先にある3つの力だと思います。
🔷知力:状況を読み、未来を描く力
🔶体力:動き続けるためのエネルギー
🔷直感:一瞬の判断を支える感覚
中学時代のクラブチームでは、合宿で死ぬほど走らされました。
一周1キロの山道を10周、そのあと試合。
本気で倒れるかと思いました。
あの経験で体力には自信がついたものの、
試合ではなぜかすぐにバテてしまう。
「走る体力」と「試合で戦う体力」は、まったくの別物でした。
緊張、判断、プレッシャー――
そういった“見えない疲労”が、試合中の体力を削っていたのかもしれません。
✅結論:あの頃の僕は間違っていなかった
僕はずっとリフティングを続けてきました。
誰も見ていなくても、褒められなくても、
ただ好きで、ボールと向き合い続けてきた。
それは決して無駄ではなかった。
リフティングを通して、僕は「努力する喜び」と「自分を信じる力」を学びました。
ただ今の僕は、こう思います。
技術だけでは、サッカーのすべては見えてこない。
サッカーを理解するには、
オフザボール、体力、知力、直感――
ボールの外側にある世界を学ぶ必要があったのです。
あの頃の僕は間違ってはいなかった。
ただ、まだ“サッカーの入り口”に立っただけだった。
もしもう一度ピッチに立てるのなら、
僕はボールだけでなく、
サッカーそのものと友達になりたい。

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