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他者に映る自分と、ひとりの自分

今日はちょっと疲れていて、少しナイーブな気分です🌙
だからこそ、普段なら流してしまうようなこと――「人ってなんだろう」「自分ってなんだろう」――そんな問いが頭に浮かんできました。


目次

他者の中に映る自分🪞

人って、自分ひとりではなかなか「自分」をつかめない存在だと思います。
「僕はこういう人間だ」と思っても、それはどこか曖昧で、揺らぎやすい。

けれど、誰かに名前を呼ばれたとき。
誰かに認められたり、拒絶されたりしたとき。
その瞬間に、自分の存在がくっきりと浮かび上がることがあります。

鏡に映る姿のように、人は他者を通して存在を実感する。
だからこそ、人との関わりは温かくもあり、残酷でもあるのだと思います。


孤独と向き合うとき🌌

では、もし世界に自分しかいなかったら?
誰も呼んでくれず、誰も見てくれない世界で、僕は「自分」をどう感じるのか。

おそらくそこでは、自分の存在は今のように輪郭を持たず、ただ漂うものになるのかもしれません。
孤独は、自分の存在を曖昧にする。
だから人は、孤独を恐れ、他者を求めるのかもしれません。

でも同時に、孤独は「他者に頼らない自分」を見つめ直す時間でもある。
誰にも映されなくても、誰にも名を呼ばれなくても、僕は確かにここにいる――そう思える瞬間があるのです。


存在は二重に成り立っている⚖️

人は他者を通して存在を実感する。
でも、それだけではありません。
人は「他者に映る自分」と「ひとりでも確かに存在する自分」、その二重性の中に生きています。

誰かの中に見える「僕」と、僕だけが感じている「僕」。
その両方が重なって、はじめて「人間」という存在になるのかもしれません。


おわりに🌱

今日はちょっと疲れていて、ナイーブだからこそ、こんなことを書きたくなったのかもしれません。

人はひとりでは弱く、他者に支えられて存在を実感する。
けれど同時に、ひとりでも確かにここにいる。

その両方を抱えながら揺れ動くからこそ、人は人らしい。
そしてその揺らぎこそが、きっと生きている証なのだと思います✨

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この記事を書いた人

好きなことを言葉で繋ぎます!
ブログ初心者なので暖かく見守っていてもらえれば嬉しいです。
また、ハーメルンにてニ次小説を書かせてもらっています!
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